ぎをん齋藤の御所解文様
古典の代表である御所解文様
この伝統ある文様をぎをん齋藤では
約180年前から独自の「御所解文様」として制作しています。
平安時代、王朝文化にみられる雅で優雅な貴族社会を主に、
源氏物語の世界を四季折々の草花や器物を用いて、
ぎをん齋藤ならではの感性で仕上げた贅沢な染名古屋帯を
「ぎをん齋藤の御所解」と呼んでいます。
制作過程はすべて京都の伝統工芸士である職人の手により一つ一つ丁寧な作業で進められ、
その手仕事にはそれぞれ少し違う表情や特徴が滲み出るほど、
工芸品というものには「作り手の魂」が宿ります。
その心のこもった作品をぜひ手に取って、また使用していただいて
京都の文化、日本の伝統工芸品の神髄を堪能していただきたいと思います。
折りたたみ可能なコンテンツ
*「御所解文様」とは
御所解文様の始まりは江戸中期から後期頃、公家の女性達が着ていた小袖(打掛)や、上級武士の着物の柄としてデザインされた宮中の庭園や自然の風景を抽象的に模様化した文様のことである。
文様には四季の草花や樹木、川、波、岩など自然をそのまま切り抜いた雅な風景画が主に取り入れられ、またそれに加え扇面や御所車、誰が袖、几帳などの器物(道具文)を用いて王朝文化を主体とした、源氏物語の古典文学を代表する絢爛豪華な柄行も数多く現在に残っている。
その後明治5年頃、文久の改革によって御殿女中は領国に戻ることとなり、当時手に余る贅沢な小袖を古美術商に売卸するようになり、店主がその表地と裏地を解いて世に流通させたという所以から「御所解文様」という名称が付いたといわれているが、正確なことは未だわかっていないのが現状である。
また、大正中期に入ると公家(御所)の象徴であった御所解文様が世情と共に「江戸解文様」という江戸を象徴する呼び名も付くようになり、「御所解文様=江戸解文様=武家」と、京都並びに江戸の認識も加わり名称も各地によって入り混じった形となる。
御所解文様が源氏物語のイメージなら、江戸解文様は大らかで、流れのある柄行であるという勝手な解釈もあり分別は難しいがどちらも同じ「御所解文様」であるということは間違いない事実ではないだろうか。